A1-Pictures制作のオリジナルアニメーション【リコリス・リコイル】の主人公【錦木千束】の生き方、価値観、考え方で印象に残ったものを以前【千束の価値観 1】【千束の価値観 2】【千束の価値観3】【千束の価値観4】で書かせていただきました。
人工心臓の充電が切れるまで、残り時間が迫っている中、千束は最後の戦いに向かいました。命は永遠ではなく、今ある日常も当然のものではないと改めて考えさせてくれた作品に出会えて本当に良かったです。
十二話より
「人に救われた命で誰かの命を奪えるわけないじゃない」
千束はDAで人殺しの技術を磨き、才能を買われて幼くしてファーストリコリスとして育てられました。しかし先天性心疾患で長くは生きられないはずが「最強の殺し屋に育ててくれ」と吉松のおかげで命を繋ぎ止めることができたのです。
それに対して千束は殺しを否定し、今を生きていることに感謝し、自身の命を大切にするように、誰かの命を粗末にすることはしないようになりました。彼女にとってリコリスの役割は【人を助けること】であり、吉松の命を奪えば生き続けられるかもしれないという選択肢を突きつけられても揺らぐことはありませんでした。
渋る千束に対して吉松が銃口を自らに向けさせた際も、「命を粗末にするやつは嫌いだ!」とまるで自分自身に言うように吉松の行動を否定しています。千束の為に、世界の為に、生まれ持った才能や役割を活かす為に生きることを吉松に説得されても、人の命は奪いたくないという意思は固く、
「私には世界よりも大切なものがいっぱいあるんだ。ヨシさんのくれた時間でそれに気づけた」
「これは返す。ヨシさんにはホント感謝してる。だから私の代わりに元気でいて」
そう言ってアラン機関支援の証であるフクロウのチャームを返していました。
命の価値は誰かと比較するものではありませんが、たきなは吉松の命より千束が生き続けられることを望んでいました。
是が非でも吉松を殺そうといつもの冷静さは無く、射撃の精度も普段より落ちているようでした。ここでの「心臓が逃げる!」は屈指のパワーワードとして記憶に刻まれています。結局、千束がたきなを制止して吉松を逃がし、
「ヨシさんを殺して生きても、それは私じゃない。ヨシさんの代わりに生きるのは、私には無理だよ」
そう言って、たきなを説得します。誰かの命を犠牲にした上で自分の命を繋ぐ行為は、人間に限らず食物連鎖の中で繰り返されてした営み
を考えれば、人は何らかの命の代わりに生きていると言えるかもしれません。
ですが千束にとっては「でも、私は本当はもういないはずの人。ヨシさんに生かされたから、たきなにも出会えた」と本来であれば病気で生きられなかったはずの時間を出会えなかったはずの人達と過ごすことに感謝していました。だからこそ、そんな時間をくれた吉松の命を奪うことはしたくないと最後まで揺らがなかったのでしょう。
また命に対する千束の価値観として、
「私だけじゃない。お別れの時はみんなに来るよ。でもそれは今日じゃない。そうでしょ?」
この言葉がとても印象に残っています。
命は誰しも尊く、死は誰にでも平等に訪れる避けようのないことでしょう。早いか遅いか、運の良し悪し等の自分ではどうしようもない最後の時は、突然やってくるかもしれません。ですが自分自身が今日を生きると決めて、生きることができたら一日一日を今までより大切にできるのではないでしょうか。
いつかは終わる命でも、最後の最後まで生き抜いたと思える生き方がしたいと思いました。
十三話より
「アンタですら自分を正しいと思ってるのね。ホントのワルはやっぱ映画の中だけ、か」
正義と悪の定義は人の数だけ、歴史と文化の違い、育った環境、何を大切にするかで存在しています。勧善懲悪は物語の中で【どの登場人物に注目するか】で変わってしまいます。
真島も「現実は正義の味方だらけだ。良い人同士が殴り合う。それがこのクソッタレな世界の真実だ」と語っていました。争いは誰かが自分の正義を押しつけ、他人を悪と決めつけ、互いの価値観を否定することで生まれているのでしょう。
「みんな、自分が信じた良いことをしてる。それでいいじゃん」と千束が言ったように、周りに対して思えるような、自分は自分で相手は相手と価値観を受け入れていきたいです。
自分がされて嫌がることはしない。相手の気持ちを尊重する。皆と仲良くする。おそらく幼少期に多くの人が大人に言われたことのある言葉ではないでしょうか。それができていれば少しは争いが減ると思いますね。
「今のままでも好きなものはたくさん。大きな街が動き出す前の静けさが好き。先生と作ったお店。コーヒーのにおい。お客さん。街の人。美味しいものとか綺麗な場所。仲間。一生懸命な友達。それが私の全部。世界がどうとか知らんわぁ」
リコリス・リコイルのキャッチコピーに【この日常にはワケがある】というのがあります。誰もが当たり前の日常を暮らしています。もちろん幸せか不幸か、人それぞれあるかもしれません。
ですが自分が今この瞬間に生きていて、好きなことに目を向けてみれば、思ったよりたくさんあるのではないでしょうか。毎日学校に行く、仕事をする、何気なく毎日やっていること、自分が居ても良い場所、自分を気にかけてくれる人、自分の好きな場所や事、自分が自分として形作っているこの何気ない日常を思い出してもらえたら嬉しいです。
そして自分の身の回りにある好きなものを大切にする千束に対して真島は「ちっせぇなぁ。てめぇ志はねーのかよ」と問い掛けました。その答えとして、
「ありますよ。私を必要としてくれる人にできることをしてあげたい。そしたらその人の記憶の中に私が残るかもしれないでしょ。いなくなった後も」
死んだ後も、とは言わずにこの「いなくなった後も」がやはり印象に残りました。
生きていたら必ず死は訪れます。善人も悪人も分け隔てなく、生きた時間が長いか短いかも関係なく、人は生きた何かを残し、誰かに伝えたいのでしょう。それ自体が自分の生きた証になり、いなくなった後も記憶として生き、ほんの少しの時間でも生きていた意味を見出だせるような気がします。
「だって湿っぽいのヤだし、動けるうちに良い場所探そうかと」
真島と戦った後、千束が目を覚ましたら病院のベッドの上でした。胸には手術された痕跡があり、痛みから「こりゃ死ぬな」と考えたようで黙って病院を抜け出して姿を消しました。各地を放浪しながら命が尽きるまでに最期の場所をさがしていたようです。
あちこち電車や車、船を乗り継いで訪れたのは南の地、宮古島でした。たまたま観光客の写真に写り混んだ千束をクルミが見つけ、それを便りにたきなが千束を発見、どうしていなくなったのか問い詰められての解答でした。
単純に病院を抜け出した頃は残り時間を意識していたかもしれませんが、時間が経つにつれ自分は死なないと理解していたと思います。元々、人工心臓が過充電で充電不可になった際、もって二ヶ月という話が冬から春になっても充電が切れないことの答えとして、手術されていた事を踏まえて新しい心臓が入れられていることは想像できたはずだからです。
ですが、千束は喫茶リコリコには戻らず宮古島で新しい生活を始めていました。都会から宮古島への生活はきっと新鮮で、時間の流れが異なり、自然も豊かで気に入っていたのでしょう。もし自分の寿命が近いと悟った時、自分だったらどこに行きたいか、考えてみるきっかけになりました。
いつかは行ってみたい場所、一度は見てみたい景色、また会いたいと思う人、いつかのままで後回しにしていることがたくさんあります。それはタイムリミットがまだ先だと思っているからでしょう。本当に年老いて体力と気力が無くなった頃は行動に移す以前に移せなくなってしまうかもしれません。まさに「動けるうちに」千束が動いたように、僕らも自分達の人生を大切にしていきたいですね。
「この時間が一番好き」
千束が写り込んだ一枚の写真から、クルミが場所を特定し、たきなが現地の宮古島に向かって無事に合流した後、ブルータートルのテラス席から夕焼けを眺めながら言った千束の言葉です。
一話冒頭の早朝シーンで「大きな街が動き出す前の静けさが好き」と言っていた千束が最終話終盤の夕焼けで「この時間が一番好き」と語る演出も素敵だと思いました。ただ好きなものがたくさんある彼女からしたら、朝も昼も夕方も夜も、素晴らしく見えているのかもしれません。
一貫して千束は【時間】を大切にしていました。自分の時間、誰かの時間、それは過ぎたら二度と戻らず、等しく今を生きる命そのものです。どう使うかも、どう感じるかも自由です。好きなことの為に好きなように使えたら、それはきっと幸せなことなのでしょう。
ですが思うことがあります。時間は誰にも平等にありますが、使い方や使える量には個人差があると。だからこそ、ほんの数分でもいいので自分の時間を自分の為に使ってあげてください。千束のように夕暮れの数分間でさえ、この時間が好きと思えたら、それは自分の好きなことの為に時間を使えたと言えるのではないでしょうか。
ちなみにこのブルータートルは、レストラン&バーとして実在するお店で、聖地巡礼も兼ねて訪れたい場所でもあります。
「いいね、それ。よし、行くぞ相棒!」
命が尽きる前に見つけた場所で、新しい日常を過ごしていた千束がたきなと再会し、新しい人工心臓により死なないと告げられ、「何しようか、これから」とぼやきました。リコリコに戻らず宮古島で生活していたのは、何をしたいのかわからなかった事が大きいのかもしれません。
そしてたきなが「諦めていたことから始めてみたらどうですか?」と提案しました。おそらく何気なく言っただけでしょう。
しかし千束は「いいね、それ」小さな子供が新しい遊びを見つけたように目を輝かせ、即行動に移しました。たきなは何が何だか解らず、千束についていきます。物語はここでエンディング花の塔が流れます。エンディングは最終話の特別仕様で、それが終わると喫茶リコリコの面々はハワイでキッチンカーでの営業をしていました。きっとあの後で宮古島から喫茶リコリコに戻り、ハワイに行きたいと宣言したのでしょう。一人で行くのではなく、皆で海外に行きたかった千束の希望にリコリコのメンバーが応えてくれたということですね。
また二話にて海外に行ってみたいと千束が言っていましたが、リコリスは戸籍が無いからパスポートが持てないとも話していました。まさか最終話での伏線になっていたとはと驚いたものです。もちろんウォールナットによる何かしらの裏工作はあったでしょうが、「やりたいこと最優先」の千束はハワイを満喫していました。
最終話はリアルタイム視聴していて、前半と後半でがらりと雰囲気が変わったり、最後の怒涛の展開にも関わらず詰め込まれた感は全くせず、あっと言う間に過ぎていました。本当に素晴らしい作品に出会えた事に感謝です。
こうしてブログに綴ったのも自分の中で好きな箇所をまとめたのが発端でしたが、やはり誰かに読んでもらいたいと思っていた気がします。更新に時間が掛かってしまったり、そこまでじっくりと読まれていなかったりするかもしれません。それでも何か一つでも、ほんの一瞬でも印象に残っているものがあれば嬉しいです。千束以外にも魅力あふれる登場人物がたくさんいたので、機会があれば深掘りしていけたらと思います。
2023年2月11日にアニメ【リコリス・リコイル】は新作製作が発表されました。
短い十三話を駆け抜けた作品。新作製作が発表された時はとても驚き、やはり来たという期待感が高まります。どんな物語になるのか今から本当に楽しみです。
物語はもちろん、作画や音響もとても綺麗で製作陣の熱量を感じる作品ですので、個人的には映画館での劇場版だったら嬉しいですね。
YouTube 『リコリス・リコイル』新作アニメーション制作決定!
引用元
🄫Spider Lily/アニプレックス・ABCアニメーション・BS11
【リコリス・リコイル】
アニメ公式サイト
https://lycoris-recoil.com/
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