今日は山の日ですね。
実は先週、富士山に登ってきました。
目的は2つ。日本の最高峰へ到達、山頂から御来光を眺めること。
これは僕が富士山に登って、感じた事を記していこうと思います。
天気予報は生憎の曇り、マイカー規制期間なので車で「富士山パーキング」に7時半に到着し、シャトルバスに揺られて「富士スバルライン」を経て5合目へ行きました。
ここで標高は約2300mで、気温も下と比べて10℃以上下がっています。山の気温は100m毎におよそ0.6℃下がると言われ、頂上では夏でも昼で10℃前後とのことです。
時間は9時前、すでにこの日の御来光を見た登山者達が下山して来ています。反対に僕のようにこれから登ろうと高所に身体を慣らしている登山者もたくさん居ました。ゆっくりと呼吸を意識しながら、5合目を散歩します。
小御嶽神社へ参拝し、道中の安全を祈願しました。そして御朱印もいただきました。
また朝ご飯は食べましたが、登る前の腹ごしらえにパンケーキをいただきます。ブルーベリーの香りが印象的なパンケーキです。とても美味しかったです。焼き印が捺されたフォークとナイフも良い味を出していました。
10時に登り出しました。富士山保全の協力金として1000円を納めます。
スバルライン5号目から登るのは吉田ルート。最初はそこまで勾配のない砂利道を登りと下りの交互通行で続きます。5号目に居た時は多少の晴れ間もありましたが、徐々に厚い雲が増えていきました。まさに雲の中を行進して行きます。登りは随所に休憩箇所があり、荷物の重さを感じながらも、まだまだ余裕がありました。
しばらく進むとだんだんと足元が岩場に変わっていき、勾配も強くなりました。登山道を外れぬように鎖のガイドが両側にあります。これはあくまでガイドなので引っ張ったりしてはいけません。歩き出しておよそ3時間、7合目の標高約3000mの「東洋館」に到着しました。道中、格安スマホでは電波が入りにくかったですが、ここでは中継器があるのか繋がります。天気予報では翌日の朝は晴れ曇り、なんとか御来光を望めそうでした。
東洋館を選んだのは、まず山小屋の綺麗さにあります。仕切りで分けられた半個室、小さな電灯とコンセントもあり、THE NORTH FACEの寝袋が置いてありました。何よりトイレも綺麗で新しく、水洗式です。
御来光を望むには日付が変わる頃に出る予定でした。時刻は13時半で、荷物の整理や寝床の確認、山小屋の外から雲を眺めたり、標高3000mの景色を堪能しました。
ここで初めて富士山に登った僕の荷物を紹介しようと思います。正直、荷物の半分は水分と食料でした。心配症で節約癖のある僕は、おにぎりや羊羮、塩タブレットやカロリーメイトを持ち、あろうことか水分も凍らせたペットボトルを含めたら5L近くの飲み物を持参していました。今思えば、これは間違いでした。たしかに水は500mlのペットボトルで300~600円と地上より値を張りますが、重さの体力消耗をこの時の僕は軽視していたのです。
他にも雨の備えや汗をかくと思って用意したシャツやインナー等の着替えも、今回は不要だったかもしれません。速乾性のインナーは気温の低い富士山では汗をかいてもすぐ乾き、においも大丈夫でした。あって良かったのは靴下です。登山靴でも歩き続ける以上は蒸れます。靴下の予備は持ってて良かったと思いました。
他には雨対策のmont-bellの雨具、軽量ダウンジャケット、夜間用のヘッドライトにモバイルバッテリーと御朱印帳等です。この辺りは必要最低限にできていたと思います。
夕食は16時ということで、仮眠を取ります。朝は早かったので目を閉じれば眠気に襲われます。寝袋なので枕が無く、ザックを枕代わりにしますが高さが合わず、丸めた雨具を枕にしました。ただここで別の問題が発生します。午後に到着し、半個室に仕切られた部屋に登山者が徐々に到着します。別の部屋も同様です。足音や話し声が聞こえ、睡眠の浅さがどうしても気がかりでした。
そうこうしている間に夕食です。白米にけんちん汁、漬物等のシンプルな和食です。何より、温かいご飯が美味しく感じました。この時、朝のお弁当も受け取ります。いなり寿司に卵焼き、富士山の気温なら常温で持ち運べるものでした。
食後はまた仮眠です。ですが、1時間以上連続して眠れなかったと思います。山小屋の経験不足や高所での薄い酸素が呼吸を乱したのか、出発の23時まで数時間、横にはなっていましたが、睡眠はまともに取れませんでした。すぐに悪い結果と繋がりました。
東洋館を出て、雲で星は見えない夜空、ヘッドライトを便りに岩場を昇ります。東洋館横の斜面は明るい内に見てはいましたが実際に登るとかなり厳しい勾配に感じました。おそらく寝不足に酸素不足でしょうか、急勾配を抜けた頃には「高山病」になっていました。頭痛に立ち眩み、気持ち悪さを感じて、足を止める事が増えます。まだこれから700m上がる。上昇負荷を考えたら断念して下山する選択こそ最良でしょう。登山は登って降りて、家に帰るまでです。完全に動けなくなった時のリスクは大きく、ましてや富士山なら尚更です。
ですが、そうしませんでした。いや危険と解っていて、下山の選択があの時の僕にはできませんでした。途中で諦めるのも登山の在り方です。それでも諦めきれませんでした。ここで諦めたら後悔すると思いました。きっと次を選べないと。天気や休日、体調に感情、判断力の鈍った頭で考えます。
今もし降りてしまったら、断念した気持ちのまま帰ることになると。
ゆっくり、ゆっくり歩き続けます。歩いては休んで、少し進んでは腰掛け、つづら折りの道を人の何倍もかけて進みます。周りを見ると同じようにしんどそうな人を何組か見かけました。その人たちも休み休み登っています。中には軽快に登る老夫婦や子供も居ました。それに対して最初は劣等感のようなものもを覚えましたが、違うと思いました。
歩くペースは人それぞれ。理由も人の数だけあって、でも目的地だけは同じ。人が生きる事に重なりました。人より優れている点、劣っている点、何を大事にして何を妥協するか、人と比べてどうかではなく、自らの意思でここにいるのだと、辿り着きたい場所があると感じました。
体調は一向に快復しませんが、ペースを落としたおかげで登り続ける事ができました。途中で酸素吸入缶を購入してみました。あまり言いたくはありませんが、効果は薄かったように思います。ただ気持ちの上で楽にはなるかもしれません。無いよりは良い、そんな感覚です。
そして時刻は4時半を回ろうとしていました。途中、引き返して降りるべきという常識とあと少しだけ登れる、最高峰への憧れが拮抗していつの間にか9号目を過ぎていました。夜の藍色が少しずつ白み始めます。見上げれば頂上が見えます。見えるのにまだ到着しそうにありません。さすがに山頂からの御来光は難しい、そう思いました。でも空が明るくなって来たからか
、ここまで来られたなら、登れるとも思っていました。
そして4時50分頃、赤い太陽が御来光として雲の隙間から覗きます。雲海や青空が照らされ、彩られていきます。天気予報では曇りの可能性もあったので、見られて良かったと喜んだ反面、頂上に間に合わなかったとも同じくらい悔しかったです。でも悪いことばかりではありません。明るくなって、歩き易くなったのはもちろん、山頂手前の鳥居からの太陽を望めました。
それから5時半頃、富士山の山頂に到着しました。しばらく御来光を浴びて感慨に耽ります。登って来て良かった、諦めないで良かったと思えた瞬間です。多くの方が写真を撮っていました。それから「富士山頂上浅間大社奥宮」には多くの方が訪れていました。
お参りをして御朱印を頂戴します。ここまで来た証明ではありませんが、今日この日にここにら来たという事を忘れない為にいただきました。
さて、ここで終わりではありません。日本の最高峰はまだ先です。富士山火口を廻る御鉢巡りをしながら、剣ヶ峯3776mを目指します。
この頃になると曇り予報はどこへやら、快晴になっていました。そして見渡す限りの雲海。諦めていたら見られなかった景色が目の前にありました。気持ちの上では意気揚々と進みたい所ですが、高山病は無くなっていません。休みながら登って来たとは言え、東洋館を出てから山頂までで6時間以上掛かっています。肩腰膝脚と痛みを感じ、無理をしていた自覚はあるので、歩調はあくまでゆっくりです。
御鉢巡りは時計回りで廻りました。そして7時頃、剣ヶ峯前まで辿り着きました。登山者が交代で写真と撮っていて少し並んでいたので僕も最後尾に続きます。
しばらくして順番が回って来ます。日本の最高峰である剣ヶ峯3776m地点到達です。
地上で最も高い場所。それを自分の脚で歩いて登ってきたということ。道中、何度も挫けそうになっても諦めなかったこと。いつかでいい、一度でいいから登って見たかった場所に今、自分が立っていること。他人からしたら大袈裟なと笑われるかもしれません。でも感動したのです。来て良かったと。辿り着いたと。ここまで来たと。月並みな表現しか出て来ません。この感情は登ってきたからこそだと思います。
そして、時が過ぎれば良い思い出として曖昧になってしまうかもしれません。だからこそ、今この記事を書いています。忘れない為に。あの時の感情をまた思い出せるように。
初めて富士山に登った記憶はあの日あの時にしかありません。次に登った時はまた違う感情を知るのでしょう。また来年に登るかもしれません。もしかしたら満足してもう登らないかもしれません。
でもこうして書いておけば、いつか読み直して思い出を鮮明できるでしょう。文章の拙さに目を背けたくなるでしょう。それでいいのです。誰にも読まれなくてもいいのです。自分自身の記録として、富士山に登って、今を生きていた事を、感じた事を今こうやって残したいと考え、綴りました。
今までお付き合いくださり、ありがとうございました。
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